宗教っていっぱいありますよね。
僕は日本人として生まれたので、文字通り「宗教っていっぱいあるなー」という感覚しかないんですけども、どうもね、そうじゃない人たちがいます。
それが一神教と呼ばれる宗教です。
その宗教の神様の数で区別する分類ですね。 僕からすると「神様がひとりしかいないか」「神様がいっぱいいるか」の単純な違いに思えるんですが、たぶんこの2つは全くと言っていいほど価値観が違います。
僕には宗教について深く考察できるような知識はないので、シンプルに「一神教」と「多神教」の構造の違いを、自分が満足する範囲までで整理したいと思います。
あ、そだ。
歴史的な側面が出てきますが、それが正しいかどうかを判断する能力が僕にないので、全てChatGPTの話を信じます。 ちゃんとした情報が知りたい人は自分で調べてみてくださいね。
一神教と多神教の「神の定義」
一神教とは、神様がひとりしかいない宗教です。 多神教とは、神様がいっぱいいる宗教です。
しんじろー!?
名前の通りではあるんですが、両者には決定的に違いがあって、
一神教には神様がひとりしかいないんです!
…あれ、おかしいな。
言えば言うほどしんじろーになりますが、「ひとりか」「複数か」という数の問題ではなくて、「唯一か」「それ以外か」という価値観の対立構造なんですね、たぶん。
信仰対象がひとりしかいないというのは、創造・真理・秩序など、全てがその神様に集約されていて、神様が「絶対」の存在となります。
対して多神教というのは、学級委員みたいにいろんな役職に就いている神様がいて、責任も能力も分散されます。
僕のイメージでは、前者は「宗教的」、後者は「人間的」というか友達の延長のようにも思えます。
これが一体どういう違いを生むのか。
もうちょっと具体的に見ていきます。
宗教の起こりとその背景
ChatGPTに義務教育レベルまでの宗教一覧と特色を出してもらったところ、神話まで含めると、多神教の方が明らかに種類が多かったです。
理由を聞くと、
それはね、初期人類が自然現象に信仰を見いだしたからだね。
太陽や月、雨や雷、地震など、理解の及ばない現象に対して「神様が怒ってるんだ」みたいな解釈から始まった世界観なんだと。 太陽に神様を見た宗教は多いですよね。 日本神話だと天照大神がそう。
なるほど、これは理解しやすい。
となると異質なのは「一神教」の方になります。
一神教がおかしいって言ってるんじゃないですからね!
じゃーなぜ一神教は生まれたのか。
食料や土地の争いが絶えず、人々が絶対的な支えを求めたからだと思うよ。
統治や統一の過程で、「唯一の正義」として万人が共有できる存在、それを「神」と呼んだんだそうな。
ふむ、これはとても「宗教」っぽい。
最初に広まった一神教の代表がユダヤ教で、その神様はYHWHです。 なんか偶像崇拝がダメとかで記号みたいになってますが、「ヤハウェ」と読むそうです。
すいません、うちの国のゲーム会社がボスキャラにして…。
次に、ユダヤ教で待望されていた「救世主(メシア)」をイエス・キリストだと認めた人々が現れ、そこからキリスト教が生まれます。
その後、イスラム教が成立し、神様はアッラーと呼ばれます。
アッラーとYHWHは同じ存在だよ。
…って、えぇぇぇ!?
ChatGPTによると、イスラム教を広めたムハンマドが「アッラーはユダヤ教やキリスト教で信じられている『アブラハムの神』と同じ存在である」と説いたんだとか。
もし違ってたらChatGPTに文句言ってくださいね。
3つの一神教は、元を辿ると神様は同じ存在を指していて、その解釈や人間との関係性が異なるようです。
他にも、ゾロアスター教が一神教的だそうですが、ややこしくなりそうなので今回は除外して話を進めます。
価値観の違いが生む『世界の見え方』
僕は多神教文化圏なので、その価値観から見た一神教の特殊な点は、
全てが唯一神への感謝につながるということ!
日本だと自然とか世界(宇宙?)とか、感謝の対象が多岐にわたります。 食には食の神様がいるし、天候には天候の神様がいて、人間っぽい言い方をすると得意な分野で役割分担しているような感じ。
対して一神教の価値観では、全てを唯一神が担当しているので、神様の負担も大きく、それだけいろんなことが得意じゃないといけない。 「全知全能」なんて言葉が生まれたのも、この考え方からだと思います。
この価値観の差はけっこう大きい気がしていて、多神教の場合はいろいろな正しさを許容できて、自由度が高い代わりに、どれを選ぶかが自己責任。
一神教では『正しさ』が一つに定まるから、迷う余地が少ない代わりに、信仰の枠組みが明確です。 絶対的な「正義」があるからこそ、「誤り」も生まれやすく、「異端」といった排他性も生じやすいらしい。
いやいや、そんなにカリカリせんでもええやん。
といった日本人的感覚は、彼らには許容できないことだったんでしょう。 たぶん神様がひとりか複数かで、世界の見え方そのものが違ってるんだと思います。 どっちが良いとか、そういう話ではなくて、「そういうもの」なんだなと。
最初に僕は日本の神様たちを「学級委員」とか「友達の延長」みたいに表現しましたが、こういった感覚もたぶん一神教にはありえないんじゃないかと思います。
一神教が足かせになったジャンル
一神教と多神教には、それぞれメリットもデメリットもありますが、明確に一神教が足かせになったジャンルもあって、
それは科学分野!
キリスト教圏でダーウィンの進化論が長らく受け入れられなかった、みたいな話を聞いたことがあります。 人間は神様が作ったはずなのに、進化論では猿から進化したことになってます。 これでは宗教観と科学観が一致しません。
他にも、真理を追い求めながら信仰心も持っていた科学者たちは多くて、例えばアインシュタインがそう。 「神はサイコロを振らない」が有名ですよね。
万有引力のニュートンも信仰心が強かった記憶。 あんまり覚えてないので調べておきます。 ニュートンは信仰心よりもフックとの話を書きたいけども。
今後の展開
実は僕は宗教自体にはあまり興味がなくて。
その人が持つ価値観とか世界観の話になると思うので、それぞれが好きに信仰すればいいし、僕も好きに信仰します。
ただ、宗教が生んできた構造とか、科学者の苦悩とか、そういうのには興味があって。 ネタ帳を見てると、宗教観に関連してるものが多かったんですね。 自分が違和感を持つ部分に、一神教と多神教の価値観の違いが原因っぽいのがあって、
先に宗教についてざっくりと調べました。
「宗教」から「宗教観」まで拡大すると、価値観のズレは非常に広範囲に広がっていて、SNSのインフルエンサーを囲う構造やAI依存なんかも「宗教観」で説明できそうな気がします。
今回の話をベースに、世界の構造を見ていきたいと思うので、もし読者さんがいたら今日の話をちょこっとだけ覚えておいてください。
オマケ:呪いはあるのか
ネタ探しで寄生獣を読み直してました。
倉森さんがなくなった時にふと思ったんです。
あれ、一神教って呪いはあるんやろか。
例えばね、倉森さんが最期に田宮玲子に強い怨みを持ってたとします。 日本人的な感覚だと、倉森さんは怨霊になって、田宮玲子自体を呪ったり、寄生生物全体を呪ったりがよくあるパターンです。 暴走して「子を持つ母親」を呪ってしまって大惨事に…みたいなのも創作物だとありますよね。
これってある意味、
人間の神格化じゃないですか。
こういう考え方は一神教にはないんじゃないかと思って聞いてみました。
呪いに近いものはあるけど、呼び方が違うよ。
どういう呼び方だと思いますか?
ちゃんと馴染みにある言葉です。
裁きとか天罰だ!
やっぱねー、予想通り『呪い』ってのは『裁き』として神だけに許されたものだそうです。 一般人は「呪うんじゃなくて祝福せよ」みたいな教えらしくて、そういえば「祝福」とか「福音」って言葉は聞いたことがあります。
それでも呪いに似た感情を持つ人はいるみたいで、そういう場合はこうなるそうです。
神よ!憎き田宮玲子に神罰を下したまへ!
要は、自分で呪うんじゃなくて「神に裁きをお願いする」形です。
やっぱ根本的に神と人の距離感が違いますね。
というわけで、
呪いは多神教圏でしか成立しない!